素朴な疑問に丹念な回答。(ツベタナ・クリステワ『心づくしの日本語』) [所感(新書)]
ちくま新書に気になる本があり、買っていたのですがやっと読みました。
これです。
古典というものは古くから読み継がれており、そこには一定の<読み>が定着している。
無論、それが間違いないものであるという保証はどこにも存在せず、絶えず読み直しされる可能性がある。
ただ、それが古典であれば非常にそれは高い壁を越えるが如きものになってしまう。
その高い壁を易々と越えているのがこの本である。
従来固定化していた部分に疑義を呈し、それを丹念に洗っていく作業は非常に手際がよく素晴らしい。
特に掛詞を扱って和歌の多義性を改めて提示していく部分は見事である。
勿論どれほどの人がその歌意をとれていたのか、実際の用例としてどれくらいあるのかについては
新書の紙幅の問題もあったのか少し不足しているように思うが、多彩な解釈を示すのが<読み>であるならば、面白い説の提示になっている。
日本語を母語としない人から古典を読んでいるからこそできる研究であったと思う。
染みついてしまった母国文化の枠組みから脱することは非常に困難を極めることではあるが、その方法の一つを我々に示してくれているという点からもこの著書は非常に意味のあるものではないかと思う。
古典の豊饒な世界を味わうことができた一冊だ。
これです。
古典というものは古くから読み継がれており、そこには一定の<読み>が定着している。
無論、それが間違いないものであるという保証はどこにも存在せず、絶えず読み直しされる可能性がある。
ただ、それが古典であれば非常にそれは高い壁を越えるが如きものになってしまう。
その高い壁を易々と越えているのがこの本である。
従来固定化していた部分に疑義を呈し、それを丹念に洗っていく作業は非常に手際がよく素晴らしい。
特に掛詞を扱って和歌の多義性を改めて提示していく部分は見事である。
勿論どれほどの人がその歌意をとれていたのか、実際の用例としてどれくらいあるのかについては
新書の紙幅の問題もあったのか少し不足しているように思うが、多彩な解釈を示すのが<読み>であるならば、面白い説の提示になっている。
日本語を母語としない人から古典を読んでいるからこそできる研究であったと思う。
染みついてしまった母国文化の枠組みから脱することは非常に困難を極めることではあるが、その方法の一つを我々に示してくれているという点からもこの著書は非常に意味のあるものではないかと思う。
古典の豊饒な世界を味わうことができた一冊だ。










コメント 0